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雅子皇后の30年間の悲劇

Bymhmedianews1@gmail.com

Th6 15, 2023


雅子皇后の30年間の悲劇
雅子皇后“苦難の30年”を振り返る 適応障害、愛子さまの不登校
天皇皇后両陛下のご成婚から、6月9日でちょうど30年。御代替わり後に世を覆ったコロナ禍も収束してご公務は本格化し、月内にはインドネシアご訪問も予定されている。とはいえこの間、両陛下の歩まれた道のりは決して平坦ではなく、むしろ苦難の連続であった。
1993年6月9日の夕刻、当時33歳だった陛下と29歳の雅子皇后は、皇居から赤坂御用地まで4キロ余りのパレードに臨まれていた。オープンカーから手を振られるお二人を見ようと沿道に詰め掛けた観衆はおよそ19万人。テレビの生中継では、各局あわせた瞬間最高視聴率で85.6%を記録した。

これに先立ち同年1月19日、婚約内定会見を開かれたお二人は、プロポーズの内幕をご披露。雅子皇后は、

〈外務省で大変やりがいのある仕事をしていたので、仕事を辞めるべきかどうかだいぶ悩んだ〉

そう吐露されながらも、

〈皇室に入られることは不安や心配がおありでしょうが、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします〉

陛下からそう言われたことで「心を動かされた」と明かされたのだった。

宮内庁にも不信感
外交官としての道を絶って皇太子妃となられてからも、雅子皇后は引き続き「皇室外交」を担いたいと願われていた。ところが、実際に求められたのはもっぱら「お世継ぎ」であり、そうしたプレッシャーは年を追うごとに増していった。99年12月10日には、

〈雅子さま 懐妊の兆候〉

と、朝日新聞が1面でスクープ。が、同月末、稽留流産だったと判明した。これら一連の過程で、雅子皇后はメディアとともに宮内庁にも拭い難い不信感を抱かれてしまった。

2001年12月には愛子さまが誕生。翌年4月、陛下と会見された雅子皇后は、

〈生まれてきてありがとう〉

と、声を詰まらせておられたのだが、同年12月、オセアニアご訪問前の会見では、こう漏らされている。

〈外国訪問が難しいという状況は、適応することに大きな努力が要った〉

第2子、とりわけ男子を求める新たな重圧に苛まれていた雅子皇后は、03年暮れに帯状疱疹を発症、長期ご静養が発表される。そして04年5月、欧州歴訪前の会見で陛下がこう口にされると、世に激震が走ったのである。

https://youtu.be/EcEsoO5CRfI

雅子さまは誠実で真面目だからこそ、大変苦しまれたに違いない。今も嫌がらせの類はあるはずだ。そんな中、長く病と戦いながらも、国民や世界の人々に寄り添う姿に、多くの人々は敬愛や信頼の念を抱くのだと思う。
皇后陛下の適応障害も敬宮さまの不登校も故意に作られた環境によってもたらされたものだと判った今、数十年という長年に渡って偽情報を垂れ流した各報道局に対する悔しさは簡単には口に出来ません。おぞましい出来事でした。

そんな流れの中でも可能な限りご公務をお務めになり、愛子内親王を立派にお育てになった雅子さまだからこそ、今国民は懺悔の気持ちと共に天皇御一家に揺るぎない敬愛の念を持ってお慕い申し上げております。

御一家の存在あってこその皇室だということを政府も肝に銘じ、今後をしっかり見つめ、無駄は省き、国民の象徴になって頂けたことを感謝し、全力を尽くすべきです。
皇室内の最上位に居らっしゃることを忘れたような対応や愚策はもう許されません。
動画を最後までご覧いただき、ありがとうございました。皆さんのご意見や感想をコメントしていただけると嬉しいです。また、もしよろしければ、評価もお願いします。次回の動画でお会いしましょう。ありがとうございました。

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