しかし、 そんな美智子さまにも『ある 「疑惑」が浮上しているようです。 当時の元侍従長 が明かした内 容が物議を醸しているのですが…。 いったいなに があったのでしょうか。今回はそちらについて書 かれた記事を見つけましたので、紹介と詳しい解説をしていき ます。
まず1つ目は、愛子さまの成年会見で明か された覚悟について紹介をしていきます。 ここからは引用を含 みます。 さて、17日に成年の記者会見に 臨まれた愛子さま。 緊張の面持ちで始まった会見では、記者か らの質問に一切メモを見ることなくお答えになっ ており、ネット上では愛子さまを絶賛する声が溢れている状況 です。
会見では、自身の結婚のほかに、昨年10 月に小室圭さんとの結婚が実現した眞子さんについても、お答 えになる場面がありました。 愛子さまは、このよ うに述べられています。『眞子さんは私の10歳年上で ございますので、物心付いたときにはすでに頼り になるお姉様のような存在で、周りを見渡し自ら率先してお手 伝いをされる姿が特に印象に残っております。
幼 い頃から、いつも変わらず明るく、優しく接していただいたこ とを有り難く思うとともに、 従姉妹として。ま啄 いお幸せをお「祈りしております』 このように。 幼いころから同 じ敷地内で暮らし、 一緒に遊んだ思い出などを語 られた愛子さま。
眞子さんが結婚の際に儀式を行わなかっ たことについての言及は避けられましたが、そも そもこの同じ敷地内で暮らし、 一緒に遊んだ思い出などを語ら れた愛子さま。 眞子さんが結婚の際に儀式を行わ なかったことについての言及は避けられましたが、 そもそもこ のしまいました。
本来であれば振ってほしくない 話題だったのかもしれません。にもかかわらず、 ご自身の想い をしっかりと述べられた愛子さまの姿に。 ネット上では『愛子さまの聡明さと温かさに感動して涙が出ま した。 国民に安らぎと感動と癒しを与えてくださ り心から感謝しています』 『やはり愛子さまは違うわ。
普通 だったら眞子さんに関する質問が出たら、表情が 曇るもんだけ次のように覚悟を持ってお答えになっています 。 『私は幼い頃から、 天皇皇后両陛下や上 皇上皇后両陛 下を治め、皇室の皆様が、 国民に寄り添われる姿 や、真摯に御公務に取り組まれるお姿を拝見しな がら育ちました。
そのような中で、上皇陛下が折に触れておっ しゃっていて、天皇陛下にも受け継がれている。 「皇室は国民の幸福を常に願い、 国民と苦楽を共にしながら務め を果たす。 ということが基本であり、最も大切に すべき精神であると私は認識しております』 このように、天 皇皇后両陛下から 『国民と苦楽を共にする』 とい う思いを引き継がれた愛子さま。
この素晴らしい人格に、とう しても多くの期待が寄せられてしまうかもしれま せん。 以上が1つ目の記事の内容です。 皆さんはどのよう に感じましたか。 まさに威風堂々とした、素晴ら しい会見でしたね。 国民と苦楽を共にするというお言葉は、 両 陛下のアドバイスの賜物だと思います。
今後も象 徴天皇制を継続していくには、男女なんて関係なく本気で国民 と共に生きていく姿勢を持たれた方がふさわしい と思いますよね。 昨今の秋篠宮家のように、 勘違いした自由を 振りかざしてこれまでの伝統や、国民の望む皇室 その在り方にそぐわない方々には即位してはしくないと思います 。
やはり、常に国民に寄り、 添われる愛子さまが 天皇にふさわしいと、声を大にして言いたいところですね。 では2つ目の記事に移ります。 さて、昭和天皇 の侍従長を務めた入江相政氏が残した。 日記、通称『入江日記 』は、昭和から平成にかけての皇室裏事情を知る そうえでの格好の資料と言われています。
そのなかには、美智子 さまに関する話題も豊富に取り上げられているこ とでも有名です。 中でも、 美智子さまの恨みに関連した次の 説は、聞いたことがある人もいるのではないでし ょうか。 昭 和38年3月22日。
次長から東宮妃(美 智子さま)が、予の書くものについて恨んでいら っしゃるから、 当分内廷のことについては書かない方が無難と 長官が去った由。 あきれたことである』『昭和3 8年3月23 日。 東宮妃の云われたことくりかえし考えるが、 誠に不愉快である。それに、仮にそう云われたと しても、その事が当の予の耳に届くというようなこと、 昔の側 近にはあり得ないことである』 『昭和38年3月 24日。
本日も最後まで動画を見ていただきありがとうございました。また皆さんに感じたこと意見などをコメントしていっていただけたら嬉しいです。もしよろしければ評価などもお願いします。では次回の動画でまたお会いしましょう。ありがとうございました。