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紀子懐妊報道との噂 ! 秋篠宮家失神 ! 恐ろしい真実が明らか !

Bymhmedianews1@gmail.com

Th6 16, 2022

皆んなさんおはようございます。これは地上の星です。それでは早速参りましょう。今回取り上げるニュースはこちらです。記事の一部を引用してお伝えします。

男系男子主義に反対する立場を取った保守派言論人に、皇學館大学名誉教授、田中卓(2018年没)がいる。彼は「男子尊重は中国大陸から入ってきた外来思想であり、男系女系という考えも西洋由来。女性を尊重してきた日本の伝統が消された。そもそも皇室の祖神である天照大神は女性であり、歴代8人の女帝が存在した。男系固執派が女性天皇を否定するのは、明治以来の皇室典範に底流する単なる男尊女卑思想によるもの」(要旨)と強く批判した。

小泉政権下での皇位継承をめぐる議論は白熱し、「テロが起こるのではないか」と危惧されるほどで、「国民の感情も2つに分裂してしまうのではないか」と懸念されもした。

紀子さまのご懐妊で議論は唐突に中断される
だが、国会会期中の2006年2月、議論は唐突に中断される。紀子さまのご懐妊が報じられたからだ。9月、紀子さまが皇室にとって41年ぶりとなる男児の悠仁さまをご出産。すると、女帝容認に向けた皇室典範改正の流れは、完全に打ち切られることになった。改正に反対していた人々は、「天祐」「神風が吹いた」と悠仁さまのご誕生を熱狂的に喜んだ。この時、秋篠宮家の長女・眞子さんは14歳、次女・佳子さまは11歳。皇位継承の議論と弟宮の誕生をどのように見ておられたのだろうか。また、男子を産むことができず、皇室に馴染めなかった皇太子妃の雅子さまを案じる声と批判する声の両方が当時のメディアには溢れ返っていた。

令和3年は、眞子さんの結婚があり、愛子さまが成年となられ、いつになく女性皇族の存在が注目された。またこうした出来事を通じて皇位継承への興味が一般国民の間に、強く芽生えた1年でもあった。

とくに眞子さんの結婚は、すでにそこにあった問題や矛盾を顕在化させたように思える。女性皇族と男性皇族の間にある格差、皇族の人権、皇統の維持、といった事々を。

https://youtu.be/uqW3LOyyTQc

長姉の眞子さんに皇位継承権はなかった。だが、弟の悠仁さまは皇位継承順位第2位の立場にある。天皇の長女である愛子さまにも皇位継承権はなく、ご結婚されれば民間人になられる。皇室に歴然として存在する男女の格差。しかし、国民の間では、この数年で、「女性が天皇になってもいいのではないか」「女性天皇が結婚し、そのお子さまが天皇(女系天皇)になってもいいのではないか」という意見が圧倒的に多くなっている(NHKが2019年に行った世論調査では7割以上)。

ところが、こうした国民の声は国会には反映されてはいない。長きにわたった安倍晋三政権は男系男子主義の立場であり、女性天皇・女系天皇を否定、女性宮家の設立にも反対していたため、まったくこの問題に取り組まなかったからだ。

この流れを汲んで先の総裁選でも、岸田文雄総理と高市早苗政調会長は揃って、「男系男子で継承すべき。皇統の維持のために、旧皇族の子孫である男子を皇籍復帰、もしくは天皇家の養子にする案に賛成」と明言した。この問題に関する限り民意と政権与党との間には、大きな「ねじれ」があると言えよう。

大日本帝国憲法と旧皇室典範が公布されたのは、1889(明治22)年。当時の皇室典範は、憲法と同格とされ、帝国議会が定めるような法律とは異なっていた。

明治憲法において天皇は「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」と位置づけられ、さらに「皇位は皇室典範の定むるところにより皇男子孫之を継承す」とされ、憲法の条文においても「男子」と定められていた。

しかし、敗戦後の1947(昭和22)年に施行された新憲法において天皇は「日本国の象徴」となり、「皇位は世襲のもの」「国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とされ、「男子」の文字は憲法から消える。

一方でこの時、旧皇室典範に代わって新たに施行された新皇室典範は、まず「憲法と同格」という位置づけから、憲法の下位にある一法律となった。その際には名称を「皇室法」に改めるべきだという議論もあったが、「皇室典範」の名称は残され、内容にも抜本的な変更は加えられず、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という文言もそのままとされた。

新憲法では「皇位は世襲」とのみ記され、一法律である皇室典範には「男系の男子」という縛りがあるのだ。

新憲法の14条では、「すべて国民は法の下に平等」であり、性別により差別されてはならないと謳われている。そのため当時から、「皇位を『男系の男子』に限定する新皇室典範は憲法に違反しているのではないのか」という声があった。

振り返って見ればこれまでも、「女性女系天皇容認」に寛容な態度を示した男性の指導者はいた。古くは初代総理大臣の伊藤博文、そして記憶に新しいところでは、小泉純一郎元総理。今から約15年前の小泉政権では、皇室典範改正に向けた議論が国会で繰り広げられた。

2004(平成16)年当時、皇太子(現天皇)夫妻の間には、愛子さましかおられず、雅子さまは40歳を超え、「適応障害」というご病状が発表されていた。一方で秋篠宮家、三笠宮家、高円宮家にも男子の跡取りはおられなかった。

 

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