2月23日に63歳のお誕生日を迎えられた天皇陛下。会見では、成年皇族として初めて記者会見に臨まれた愛子さまについても語られました。内情に詳しいことは宮内庁職員は、次のように述べています、「愛子さまの会見の際、陛下は1人1人と目を合わせつつ、伝えようという気持ちを持って話すのが緊張を和らげるコツと、アドバイスされていたといいます。愛子さまが会見で人々に感謝の言葉を述べられたことに関しても、『これまで、様々な形で支えていただいた皆さんに感謝する気持ちを持ってくれていることを、私たちとしてもうれしく思いました。
今後も思いやりと感謝の気持ちを持ちながら、皇室の一員として、一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。その過程で私たちで相談に乗れることは、できる限りしていきたいと思います』とお答えになっておりまするまた、2022年末には両陛下と3人で出かけられたり陛下と愛子さまのお2人で出かけられるなど、仲睦まじい様子も目にするようになりました。
23日の一般参賀の際にも、陛下と愛子さまが何か会話をされているようなシーンも。やはり、これからの愛子さまが皇族として活動されていく中でどのような形で臨むといいのかということを、両陛下が身をもって教えられているような気がしましたよ。まさにこれからの皇族としての価値観、これからの皇族の活動の一つの道しるべを両陛下が示されているんだろうな、ということを感じました。さらに、2023年は両陛下にとって結婚39年という節目の年でもあります。誕生日会見で陛下は、皇后さまへの思いをこう語られました。
『雅子は、私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手になってくれていますし、愛子の日常にもよく気を配りながら見守っており、生活に安らぎと温かさを与えてくれていることも、とても有り難く思っております』このように、体調を整えながら行事に臨まれる皇后さまを今後ともできる限り力になり、支えていきたいと気遣われた陛下。
誕生日にあわせて宮内庁が公開した映像には、両陛下がお住まいの御所で、宮内庁の庭園課が丹精込めて育てた盆栽を眺めながら歓談されている様子も公開されています。この両陛下が眺めている盆栽は、2月から3月に黄色い可憐な花を咲かせる樹齢約30年のサンシュユで、秋に赤いグミのような実をつけるのが特徴です。中学生の頃から盆栽が好きで、友人から『しい』というあだ名で呼ばれていたという陛下。陛下は、その実が漢方薬などに使われることを説明されると皇后さまは小さな花に目を留め、愛らしいと感心されていましたよ」以上が1つ目の記事の内容です。
記事にあるように、天皇皇后両陛下のお互いを思いやる夫婦仲は、まさに国民にとっての模範といえるでしょう。ただその一方で、令和の時代は安心ですが国民は次期天皇を懸念しております。国民の税金を湯水の如く消費したりズルいことをしない本当に賢い方が天皇になられることを、切に祈るばかりですね···。では2つ目の記事に移ります。さて、昨年8月23日に河野太郎デジタル大臣がYoutubeのライブ配信で皇位継承問題に言及しました。
男系による皇統を第一としながらも。皇室の女性を残し、男の子がいなくなったときにはその女性の皇室のお子さまを天皇にしていくのを考えるのが一つあるとしています。さらに、愛子さまをはじめ内親王のお子さまを素直に次の天皇として受け入れることもあるのではないか、ともまとめました。つまり、悠仁さまへの皇位継承を前提とじながらも、愛子さまなど内親王に女性宮家として結婚後も皇室に残っていただき悠仁さまに男子のお子様がない場合には、愛子さまらのお子様を女系天皇として容認すべきとの立場を表明したたちになります。内情に詳しい皇室ジャーナリストは、次のように述べています。
「このように現役の大臣が女系天皇容認論を口にすることは異例のことであり、ネット上では賛否両論の声が上がっているのです。とりわけ男系男子による皇位継承を主張する保守派からの攻撃は凄まじいものがありまして···。仮にですが、男系による血統を至上命題とするならば当然、皇籍復帰の際にはDNA検査が必要になるでしょう。しかし、万が一DNA検査で男系のラインで繋がらなければ、どこかで不義の子が紛れていたことになるため様々な問題が生じることは容易に想像がつきます。
かつて上皇陛下は平成の頃、『ゆくゆくは愛子に天皇になってほしい。自分も長く元気ではいられないだろうから、早く議論を進めてほしい』と側近に仰ったことはすでに広く知られています。まさに、優秀で温和な愛子さまのお人柄を知ってのご発言といえるでしょう。実際のところ、平成の時代は皇位継承問題について何度も話し合いがもたれたようです。美智子さまが『旧宮家が復帰となれば、DNA検査をするのでしょうか』と問われ、宮内庁職員が『そうなる可能性はあります』と答える場面があったとも。さらにば『どのように検査をするのか』との追及もあったようで。
宮内庁職員は、『その段階にならないと分かりませんが、男系を維持するためには皇統を受け継がれる秋篠宮殿下あるいは悠仁さまと、復帰される旧宮家の方との検査になると思います』と答えたようなのです。すると美智子さまは少し驚いた表情を浮かべたのち、『人を信じましょうそれこそが慈愛です。疑うことは人の心を貸しくします。どうしても宮家を疑いDNA検査をするというのなら旧宮家復帰案は難しいですね』と仰いました。こうしたエピソードはかなり有名ですし、美智子さまは旧宮家復帰には難色を示されると思います」以上が2つ目の記事の内容です。どう考えても将来の天皇は愛子さまが相応しいですし、秋篠宮家では務まらないと思います。ましてや、万が一皇位が秋篠宮家に移るとすればDNA検査は必になると思いますね。
当然調べられても困るでしょうし、今後も検査を断り続けるとはおもいますか。そんな秋篠宮家ですが、皇室特権を不正に利用し筑附高に入学した当時、秋篠宮さまとキコさまの間には修復しがたい亀裂が入ったとも言われています。続いてはそちらについて紹介いたします。さて、提携校進学制度の利用、また小室さんと眞子さんの結婚によりさらに、その自由さが批判を受けることとなった秋篠宮家。平成から令和への御代替わりにともなって、秋篠宮さまは正式に220年11月に「皇嗣」となられました。皇嗣とは、皇太子と同じく皇位継承順位一位であり、皇族費は増額され、秋篠宮邸も改装工事が行われ、総額63億円もの税金が投入されています。また、宮家時代には20人余りと、キコさまが職員の少なさに苦言を呈したこともありましたが、職員数は51人にまで増員されています。秋篠宮家には、側近として宮務官と侍女長が置れていましたが、皇嗣家になるにあたり天皇家や皇太子家と同じく侍従と女官が置かれる予定でした。しかじ、これに秋篠宮さまは猛反対されたようです。秋篠宮家の関係者は、皇太子家では、侍従が男性皇族のお世話をし女官が女性皇族のお世話をするのが決まりなのですが、名称を男女ともに『宮務官』に統一することで、仕事が分断されるのを防ぎ、女官も殿下の仕事をやり侍従も妃殿下の仕事をやるといった形にしました。
いわはジェンダーフリーに仕事をするように主張されたのです。侍従には伝統的に決まった仕事、女官には女官の仕事があるので引継ぎにも困るのですが、秋篠宮さまは、新しい名称に変えることに執拗なまでのこだわりを見せていたのです」と話します。このこだわりからも、秋篠宮さまが伝統派というよりは改革派という印象を受けますね。その他の従医に関しても、新しい名称に変えようと秋篠宮さまはされたそうですが、結局、二転三転してなかなか決まらず、最終的には変わらず終いだったそうです。
この名称変更に関しては、1年近くもの歳月がかかったようで、これには、秋篠宮家の職員らも呆れているといいます。加えて、秋篠宮様には、自分仕様にルールを変え、自分ならではの独自なことをしないと気が済まないところがあるようです。秋篠宮様のように、新しい風を吹かす改革意識は重要かもしれませんが、それが多くの場合、裏目に出てしまっているのでしょう。実際、学習院にお子様たちを通わせず、自由を尊重しているとし、眞子さんや佳子さまを国際基督教大学へ、悠仁さまを筑波大学附属高校へと通わせられたことによって、一時期は、称賛された時期もあったものの、現在では様々な軋轢が生まれています。
眞子さんに関していえば、国際基督教大学に通ったことで小室さんと出会ったことから「学習院へ通わせておけぱよかった」という声もあがっています。また、直近では悠仁さまが筑波大学附属高校へ進学されるに当たり、「提携校進学制度」を利用したことは、批判の対象となりました。お茶の水女子大と筑波大学の間に締結されているこの制度は、両校の生徒が若干名ずつ、もう一方の提携校に進学できるという制度で、制度が提携された時期や、制度が廃止になる時期があまりにも悠仁さまの進学のタイミングと噛み合いすぎていることから批判を受けています。